人生、波乱万丈!

コレが私の生き様・・・

中間子 大人編

子供の頃、あんなに嫌だと感じていた『中間子』




ですが、中年になった今は、

可もなく不可もなく・・・




と言った感じです。





大人になり、結婚をして家を出てしまえば、



赤の他人と生活するわけですから、比べられる事も



差別される事もありません。



ある意味、開放されて楽になった感じです。






さて、ここで大人になってみてココは良かったなと思う点についてです。





上と一緒にいれば上を優先され、


下と一緒にいれば下を優先されてきた結果、




我慢強くなりました(^_^;)





そして、上・下が甘やかされる一方で、


私は色んな事を自分でやりこなして来た為、



自分の意志で考え結論を導く事が出来る様になりました!






本来そんな事は、出来て当たり前の事ですが、




残念ながら私の兄弟にはそれが出来ません。





人の意見に流され易く、結局は考えが二転三転し、




最悪の事態になった時は、




『あの時、◯◯の言った事を聞いたからこうなったんだ!』




と責任をなすり付け、自分が逃げれる体制を整えている感じです。




その兄弟の呆れたエピソードを簡単にご紹介。




まず、上の兄弟は、




自分が仲良くしていたAという人物にお金を貸し、(信用貸し)



ナカナカ返して貰えないから、私に返すように言ってくれと頼んで来る。




私自身、Aの事は知っていたので、声をかける。



それでも、返って来ないと私に電話を掛けてきて



『お前は、自分のお金じゃないから適当にしか言ってないんだろ?!


こっちがどんな思いでいるかわかっているのか?!』



などと事もあろうか、叱りつけて来たので、頭に来た私は



『こっちは、善意で相手に交渉しているのに、なんでお前にそこまで言われなアカン?!


私にそこまで言うなら自分で言えば良いだろうが!』



と怒鳴り付けたら、




『お前?!こっちは、お前より年上なんやぞ?年下が何を偉そうに言いよんや!』




とキレて来たので、





『あのな、上とか下とか関係ないやろ?

偉そうに言われるのが嫌なんだったら、下に頼むな!


勘違いするな!!

こっちは頼まれたから交渉してるだけ!


気に入らないなら自分でどうにかすれば良い!

もう、こっちに頼んで来るな!』





と、一方的に電話を切りました。




どうやら、上はAとの仲がこじれるのが嫌だった様で、第三者に頼んで、自分は




『何時でも良いけど、周りが返して貰え〜ってうるさくて・・・』



と私が勝手に言っている様に仕向けていたらしいです・・・





その後、上からは

『あの時は悪かった。

もう一回言ってみてくれないか?』



と打診して来ましたが、裏で何を言っているかわからないので断りました。





次に下の兄弟ですが、

あまりにも情けなさ過ぎて・・・



MT車で免許は取ったものの、乗りこなせず一年も乗らないうちに廃車



その時に言った事が

『ミッション車だったのが悪い!』



ギアを入れるのに気を取られて事故ったと言うのです。



そんな事、言ってたら世の中のMT車の運転手は事故りまくりか?!



結局、その後、AT車に乗っても『廃車』する程の事故はしないだけで



世間様には迷惑かけまくり・・・



人に当たらなかっただけ、

せめてもの救いです・・・



他にも、就職したにも関わらず、会社にも親にも嘘を付き、



仕事に行かず、遊んでいたとか・・・




どれもこれも、問いただせば



『○○に誘われたから仕方なく・・・』


とか自分は悪くない!の一点張り。




上も下も調子良く、人のせいにして逃げるだけ。



そんな事が何時までも通用する訳もなく、

結局は周りから自己中な人と認識され、

相手にされなくなる始末。





そんな私は今現在、親兄弟と縁を切り、見知らぬ土地で暮らしています・・・




その話は、長くなるので後々お話させて頂きますm(_ _)m

中間子 青春期編

私達3兄弟は、地元の高校に通い、進学はせずに


自宅から通える会社にそれぞれ就職しました。




この頃も、兄弟間の差別はありました。




『差別』と言うと大袈裟な感じにもなりますが、




私にとってはその言い方がBESTなのです。




具体的に言うと、まずは門限です。




上は、付き合いがあるんだから、遅くなる事も仕方なしとして、


自由な出入りでした。





私は、いつかは家を出ていく身だから、そんな付き合いも無いだろうし、


友達・恋人と遊ぶにしても休みの日の昼間に遊べば十分だと門限がありました。






下の子ももちろん有るかと思いきや、今はそんな時代じゃないと、



門限はありませんでした。



下はかなり甘やかされており、時代の流れに沿ってないと・・・と言う理由で



学生時代にポケベル・携帯を持たせていました。




今では、それは珍しい事ではありませんが、当時の私にしてみれば・・・




親に『それが許されるなら、私も持ちたかった!』と言ったら




時代が違う・・・と。




開いた口が塞がらないとは、正にこの事。




当時、リアルタイムに私が言った時は、




『他所は他所!うちはうち!』




連絡取りたいときは、公衆電話で十分だ!と言い放った同じ親だとは思えません。







そんな私は、親に嫌気がさし家を出る事を考え始めました。

中間子 幼き頃編

私は三人兄弟の真ん中です。




色々なご家庭があるので一概にどうとは言えませんが




私は子供の頃、中間子であることが嫌でした。





なぜなら、第一子は、初孫という事もあり双方の祖父・祖母がとても


甘やかしていたのです。



それは、私が産まれても変わりませんでした。




第一子がねだれば、高いおもちゃでもお菓子でも買って貰えました。





私が同じ様にねだっても、『また、今度!』と言われ買っても貰えず



『今度』はいつまでたってもありません。




第一子は、一番上なんだから!家を継ぐんだからと・・・





田舎特有の考え方です。





そんな訳で、私は上の子のお古ばかり・・・




服も、靴も、おもちゃも・・・




それでも、小さい時からそれだったので、対して疑問も持たず


反発もせずにいました




ところが、年の離れた末っ子が出来た時、




私のお古を着るわけでもなく、使うわけでもなく




次々と新しい物を買い与えられます。



その頃から、私は少しずつ不満と疑問を持つ様になります。





そして、私が小学生になったある日、忘れもしない出来事が起こります。




旅行に行ってた親戚が私達兄弟にお土産を買って来てくれました。





何が良いかわからないから〜と同じ物の色違いを手渡され




『ありがとう!』と言って選ぶと、末っ子が



そっちのが良い!とゴネだしました




私は、今までの事もあり、それを自分の物に出来ると思っていましたが、




親から出た言葉は







『あんた、上なんやから、下の子に譲ったり!可哀想やろ!』






でした。







は? なんで?!





今まで、散々あんたのほうが下なんやから、我慢しろ!と




言われ続けて来たのに、今度は逆?





結局、上も下も甘やかされて育ちました。



唯一、私は甘やかされず育ちました。




小さい頃の事ですが嫌な思い出として今も心に残っています。






そのせいか、私は『人に甘える』と言う事が苦手です。





正直、甘え方がわかりません。





甘え方を知らなくても生きてはいけますが、



甘え上手な人を見ると羨ましくも思います・・・